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kurobird’s diary

僕としてリアルな思考を垂れ流す。

Odai「冬の朝」

 

この瞬間午前7時。太陽が山から少しずつ顔を出してきた。

 

美しい朝焼けの時間帯である。

 

冬の朝の寒さは、寒いというよりは冷たいと言った方がしっくりくる。

 

多分、空気が湿っているからだと思う。

 

その中を歩いたりしてると、海をゆっくり泳ぐ魚のような気分になる。

 

僕はそれが昔から好きだ。

博士と彼女のセオリー

Odai「最近見た映画」

 

最近観たのは博士と彼女のセオリー

 

車いすの天才物理学者と言われるスティーブン・ホーキングと元妻の恋愛物語を映画にしたもの。

 

最初はあまり期待してなかったけど、まぁ有名な物理学者だし見てみるかという事でTSUTAYAで借りた。

 

でも思ったより良かった。

 

筋萎縮性側索硬化症という難病を抱えることになったホーキングに寄り添う決心をした元妻だが、必ずしも良い夫婦仲とは言えず、またホーキングも病と闘う中で健常者ではない事に悩んだりと、観ている側は現実そんなにうまくはいかないんだなぁとなる。

 

それにしても原題はThe Theory of Everythingなんだけど、どこらへんがEverythingなのかよくわからなかった。邦題の方が個人的に好き。

一人暮らしの面倒臭さ

一人暮らしを始めて約9ヶ月が経った。ここでは一人暮らしについて僕が思った事を書く。

 

一人暮らしに関して僕が持っていたイメージは、「自由」だった。いつ起きても、何を食べても、日中何をしてても、そして何時に寝ても誰からも怒られない。風呂だって面倒くさければ入らなくてもいいし、家事もしようがするまいが本人次第だ。

 

そういった事ができるのは、親に口うるさく叱られないという意味で自由と言えるかもしれない。だが、それは「しなくても良い」という選択肢に甘えているだけだ。本当は規則正しい生活を送り、家事をちゃんとこなし、バランスのとれた食事を摂り、毎日シャワーくらいは浴びるべきなのだ。

 

それは、ある意味では自由でないかもしれない。家事だの、風呂に入るだの、ちゃんした食事を心掛けるだの、そういう立派な生活をしようとすると、やるべきだが面倒な事が増える。その面倒臭さが嫌で、ちゃんとした生活リズムを作る気も特にないならば、無理をする必要はない。

 

しかし、一人暮らしとは実はそういうものなのだ。一言で「自由」とは片付けられない。正確には「どういう生活をしても自由だが、責任は自分で負う」というのが一人暮らしだ。この「自己責任」という一人暮らしの面倒臭さを、僕はこの9ヶ月で身を持って実感した。

 

最初は毎朝決まった時間に起床し、朝食を作り、その後大学に行き、帰ったら夕飯を作り、皿を洗い、風呂に入ったら夜更かしせずにしっかり睡眠をとるといった理想を掲げていたものだが、次第に面倒に感じるようになり、自炊をしなくなり、風呂も毎日は入らなくなった。

 

実際にはそれでも生活はできてしまうし、誰からも文句を言われない。そうこうしている内に僕は一人暮らしそのものを面倒に思い始めた。

 

自炊をしないとは言え多少の洗い物は出るし、掃除をしないとすぐに埃がたまる。洗濯機だって回さないといけない。めんどー。誰かやってくれないかなぁ。などと思ってても誰も何もやってくれない。

 

そんな中、ある日僕は思った。一人暮らしは自分で全てを行うもので、本質的に面倒臭いものであると。そして最近は「その面倒臭さを乗り越えれば、自己管理のしっかりした大人になれるのでは」と考え始めた。

 

そこから僕は少し変わった。諸々の家事を以前より面倒に感じなくなってきたのだ。別に完全に面倒臭くなくなった訳ではないが、やりたくないとは思わなくなった。皿洗いが嫌で朝食すらコンビニに頼っていたが、最近は自分で用意するようになった。

 

この「面倒だがやるようになった」というのは僕の中では大きい変化だ。生きる事に多少なりとも積極的になった気がする。

 

話が少し脱線したが、一人暮らしに伴うのは「自己責任付きの自由さ」だ。自己管理をしっかり行うも、そうはせずに怠けても、あくまで本人の自由なのだ。各自が面倒臭さとどう向き合うか、ただそれだけの事であり、その結果について誰も何も言わない。言われた所でどうするも自分次第。僕は幸運にも自分で「ちゃんとしないとなぁ」と思ったので、生活を改め始めた訳である。そういう自発性は自分を変えるのに最も重要だと思うが、それについては気が向いたらいつか書こうと思う。

 

ちょっとした贅沢

Odai「ちょっとした贅沢」

 

ずばり、珈琲である。

スタバやタリーズに行ってうまい珈琲を飲む。まさにちょっとした贅沢。

 

普段は缶コーヒーしか飲まないが、土日なんかは少しお高い珈琲を飲む。

なにせ金持ちとはいえない学生だから、毎日タリーズにいくわけにはいかない。

だからこそ、ちょっとした贅沢となり得る。

 

美味しい珈琲はいい。至福の時を過ごせる。

読書の必要性

読書の必要性。なぜ読書が必要か。

その一番の理由は、思考力を身に付けることであろう。

変化の激しい現代社会において、思考力がなければ時代の波にのまれてしまう。

それを防ぐのが読書である。

 

なぜ読書で思考力が高まるか。

思考力は自分の持つ語彙数に比例するのであり、その語彙数は読書で増えるからである。

 

他にも読書が必要な理由が色々と書いてあった気がするが、とりあえず僕が理解したのはこの部分のみである。

僕の読書量は少ない。月に一冊程度である。

自分でも思考力のなさは日ごろから気にしていたので、まずは一週間に一冊を目指していきたいと思う。

特に論理的思考力が向上すればうれしい。

科学とは何か

自分が物理学科だからか、物理学を用いてなら説明できる気がする。

 

例えば、誰かが独自の理論を構築したとする。

 

その理論は、既知の現象を説明できるとともに、新しい現象を予言する能力を持っていなければならない。

 

つまり、再現性と予言性の両方を兼ね備えている必要がある。

 

その予言が正しいかどうかは、実験や観測により判断される。

 

アインシュタイン一般相対性理論を構築し、それまでの重力の考え方に幾何学

という新しい見地を生み出した。

 

つまり、今まで知られていた重力に新しい説明をしたことになる。

 

同時に、一般相対性理論は水星の近日点移動、ブラックホール重力波といった予言をした。

 

今では、これらのどの予言も正しいことがわかっている。水星の軌道にはニュートン力学では考えられなかったズレがあったし、ブラックホール重力波は観測されている。

 

そういう訳で、一般相対性理論は物理学における立派な理論となっている。

 

まさに科学の正当な道のりである。

 

しかし、超弦理論はどうなのか?

 

超弦理論素粒子は一次元的な広がりを持つ弦であるという、新しい説明をしたが、未だに実験的に確かめられた予言をしていない。

 

その意味で、超弦理論は科学としては不十分なのである。

 

それでも、現在盛んに研究が行われている理論ではある。

 

理由はいくつかある。

 

ひとつは、現在知られている全ての相互作用や物質粒子を弦として統一的に理解できるということ。

 

これは物理学の究極的な目標のひとつだ。

 

また超弦理論は、そのエネルギースケールから、初期宇宙も記述できるため、宇宙論的にも興味深いものになっている。

 

さらに、確かめられてはいないものの、超弦理論は、超対称性や余剰次元といった面白い予言もしている。

 

このうち超対称性は、エネルギー的に近い将来に確認できるだろうと期待されている。

 

加速器などの技術があがり、超弦理論が正しいかどうかが分かれば、超弦理論は立派な自然科学の一員となるかもしれない。

 

それとも、実験によって思いっきり否定されるかもしれない。

 

それが分かるまでは、超弦理論は科学と呼べる条件を十分には満たしていないと思う。

 

以上、何を科学と呼べるかは書いたが、結局、科学とは何か、分かった気になっているという気しかしない。

 

気がするというだけだけども、何か抜け落ちてるような。

 

これから探っていけばわかるかもしれない。多分。

ひとりを満喫する

お題「ひとりの時間の過ごし方」

 

土曜日は大学にいかずに家に一人でいる。

 

雨の日はじっとしているが、晴れだとどうしようもなく外に出たくなる。

 

でも、友達と遊ぶようなことはしない。

 

基本的に一人での行動を好む。

 

一人のほうが自由だし、集団だと、毎回のごとく、気が付いたら自分だけ孤立しているという状況になる。かなしー。

 

まぁ、寂しくはないけどね。

 

ひとりで、漫画や小説といった本を買いに行ったり、CDやDVDを借りに行ったり、あるいは写真を撮りにふらついたりする。

 

家に帰ったら買った漫画を読んだり、写真を見返したり、あとはピアノを弾いたりする。

 

そうこうしているうちに夕飯の時間になったりするので、コンビニやスーパーへGO。

 

休みの日はこんな感じだし、平日も一人でひたすら研究室に篭っている。

 

基本的に僕は集団の中にいることはない。

 

多分、基本的に人に囲まれているが、たまに一人の時間が欲しくなる人っていると思うけど、僕は常に一人がいい。

 

たまに集団の中にいたくなることもない。

 

気付かれしちゃう。人が怖いし、神経症も患ってるし。

 

要は内向的で神経質な人間は、ひとりを好むし、勝手にひとりの時間の過ごし方を知ってるものなのだ。