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kurobird’s diary

僕としてリアルな思考を垂れ流す。

理解とはなにか

物理学科というバリバリの理系にいながら、僕は暗記や鵜呑みに頼ることが多かった。

 

何より悪いのは、本を読みながら、実は理解してるのではなく単なる暗記になっていたことに、僕自身が気づいていなかったことだ。

 

なんとも馬鹿すぎる話である。

 

気づいたきっかけは、ある先生と話していたことだった。

 

その時まで、自分が暗記勉強に陥っていたことに気づいていなかった僕は、その先生に「暗記では駄目だよ」と言われ、少しムッとしたのだった。

 

そんなことは知っている。自分は暗記に頼ってはいない。

 

でも、「それじゃあ」と言って先生に出された問題を、僕は答えることができなかった。

 

具体的には、「なぜ変位電流は必要か?」というものだった。

 

これは僕もやった覚えはあるものだったが、すぐには出て来なかった。

 

しかし、定常電流におけるアンペールの法則が、時間変動する電流に対して適用できないことを理解していれば、すぐに答えられるはずのものだ。

 

その後、先生に言われた言葉が、なぜか僕には衝撃的だった。

 

例として、先生は将棋を持ちだした。(僕は将棋を知らなかったが、チェスは知っていたので知っていることにした。)

 

将棋のプロは、何千何万という手を全て暗記しているのではなく、「この手を指すとどうなるか」を理解しているという。

 

「定石を暗記しているプロはいない」

 

これに僕はハッとさせられた。

 

そうか、理解とは暗記ではないのか。自分のやっていたことは暗記に過ぎなかったのか。

 

しかし、暗記ではないことはわかったが、では理解とは何なのか?

 

先生との会話以来、僕は時々そう思っている。

 

一体、どうなっていれば、理解したという事がわかるのか?

 

理解とはどういう状態か?

 

頭の悪い僕にはどうしていいか分からない。